江戸時代末期(19世紀半ば)に建てられた住宅で、下鶴間の公所(ぐぞ)集落にありました。屋根は茅葺きの入母屋(いりもや)造りで、妻側の軒を高く切り上げてあります。屋内は4室からなり、手前の板の間はイロリのある方がザシキ、座りナガシのある方がオカッテ、畳敷きの2ヘヤは左側がオク、右側がナンドと呼ばれます。北島家では建築技術の発達により、小川家にはなかった大黒柱(だいこくばしら)と差鴨居(さしがもい)が発生して、柱の立つ間隔が広くなります。また、屋根裏は養業に対応して二層に設計され、妻側には風通しや採光のための窓がつけられています。

旧北島家主屋平面図
この間取りは江戸時代後期に関東地方南西部の農家に多く見られたもので、旧小川家のような広間型から田の字型になる整形四間取りへと変化する過渡的な平面形式です。
市内に隆盛する養蚕業に対応するため、当初から屋根裏は2層に利用するよう設計され、1階各部屋のスノコ張り天井が2階部分の床になっています。